A principled fight against surveillance
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監視との原則に基づいた闘い
カティッツァ・ロドリゲス(電子フロンティア財団)
エ ドワード・スノーデンが最初に文書をリークする何年も前から、人権弁護士および活動家は、法執行当局と外国諜報機関のデジタル世界上のスパイ行為の劇的な 拡大を懸念していた。法的な保護が技術開発と歩調を合わせていなかったことは明白になった。世界中でスパイ行為をする国家の実際的な能力は、従来のスパイ 能力の検査の機能的な限界の回避を可能にした方法で発展した。これらの懸念は、「コミュニケーション監視への人権の適用に関する国際原則」(以下、「原 則」と表記する)という形でまとめられた。これは、新しい監視技術が私たちの基本的自由をどのように侵食しているか、また、国家どのようにスパイ行為をす る可能性があるかを、人権基準に従ってよりよく理解するために政策立案者、活動家および裁判官を案内することを意図して作成されたものである。
一 年半にわたる制作の後、原則の完成版が、スノーデン時代とも言うべき時期の最初の数週間の間に、2013年7月20日に発表された。またさらに新しい版が 2014年5月に出された。スノーデンの一連の暴露は、始まるや否や私たちが懸念していた中で最悪の事態を確認するものだった。法執行当局だけでなく情報 局も、社会的影響をほとんど考慮せずに、私たちすべてをひそかに見張ることを選んだ。国会議員や政府高官までもが、秘密諜報機関本部の能力や、デジタル・ ネットワークが至る所ですべての個人をにらんでいるという現実についてほとんど理解していなかった。原則の必要性は言うまでもなく確認された。しかし、現 実の実践にそれらを適用する長く困難な仕事はちょうど始まったばかりである。
それ以来、原則はスノーデンが暴露した硬直した現実に対する解 決策を求める人々にとっての指標となっていることを私たちは期待している。スノーデンが暴露したのは、私たちの政府たちは技術進歩の穴や時代遅れの法的保 護の網の目をくぐり抜けて、私たちの最も基本的な権利を実質的に無意味にする大衆監視の手段を採用したということである。原則はこれまでに470以上の組 織や専門家によって署名され、国家のますます拡張する監視能力を制限する必要についての数々の厳格な討論に中心的な指標となる役割を果たしてきた。それら のインパクトは、たとえば米国大統領の「機密情報と通信技術に関する審査グループ」の報告書(訳注: 2013年12月18日発表)、米州人権委員会の報告書(訳注: 2013年12月31日発表)、最近の国連人権高等弁務官事務所の「デジタル時代のプライバシー権」報告書(訳注: 2014年6月30日発表。この報告書に基づき、2014年11月25日に国連総会第3委員会で決議がなされた)などに既に明らかである。その影響は、ス ノーデン後の監視の問題に取り組む行政および立法の試みにおいても証明されている。おそらく最も重要なことは、世界中のキャンペーンやアドボカシーの発案 において結集点として機能したことである。
以下に、原則の中心的な特徴のいくつかを説明する。人権法学における私たちの結論のもっと詳細な 法律学的説明は、原則を支持して作られた「国際法学的分析と参考資料」 (https://en.necessaryandproportionate.org/LegalAnalysis)にある。
国際人権法における核心的定義
原 則は、測定された監視について、「何」と「どのように」という二つの中核概念の定義を述べることから始まる。一つ目の概念は保護されるデータのタイプに注 目する。その一方で二つ目の概念は、広範囲の監視活動がプライバシーの権利に対する干渉を構成することを確認する。大量の機密データや監視活動が法的な保 護の範囲を超えて認められたように、これら二つの用語の時代遅れの定義は拡張する監視の実行に結びついた。これらの定義の変更は、データの種類の人為的な 検査や妨害の方法ではなくプライバシーの保護や個人のプライバシーに対する究極の影響に再び焦点をあてることを目指している。
保護された情報
原 則は、コミュニケーションについての情報はコミュニケーションの内容ほどプライバシーに対して深刻な脅威を生み出さないという誤った考えを払拭する時が来 たことを明確にする。メタ・データ、加入者情報、非コンテンツ・データなどと呼ばれるコミュニケーションについての情報は、携帯電話の位置情報、クリック ストリーム(訳注: ウェブサイト閲覧ページ遷移の記録)、検索ログ、匿名のオンライン活動などを含む。個別の情報であっても、これらは電子メールを読んだり通話を聴いたりす るのと全く同じくらい侵害の度合いが高いものである。もしこれらの情報が一団となって結合され分析された時には、そのようなデータポイントによって描かれ た絵は、それらに対応するコミュニケーションのコンテンツよりもはるかに個人を丸裸にする効果をもっているかもしれない。この現実にもかかわらず、前イン ターネット時代の(郵便サービスを前提とした)法概念は、「コンテンツ」として分類されない情報に対する保護は少なく、あるいは全く保護されないという考 えに固執している。重要なことは、集められるデータの種類ではなく個人のプライバシーに対するその影響である。
原則のために準備された「国際法学的分析と参考資料」に説明されているように、
原 則は、その情報が現在法によって保護されない、あるいは単に部分的に保護される、またはより低いレベルの保護しか与えられなくても、それが完全に保護され るべき情報(データも含む)であれば「保護された情報」という用語を用いる。その意図は、新しいカテゴリーを作っては時間が経つにつれ陳腐になるに任せる ということではなく、むしろその情報がそれ自体でまたは他の情報と結合された時にある人物またはその通信相手の私的な事実を暴露する能力に焦点を当てるこ とを確認することである。そのため、原則は一般大衆に容易に利用可能でないコミュニケーションに関係のあるどんな情報も含む、単独で総括的な定義を採用する。
この懸念は、人権高等弁務官事務所(OHCHR)の最新の報告書が取り組み、以下のことを明らかにした。
プライバシーの 権利の見地からすると、「コンテンツとメタ・データ」の区別には説得力がない。一般に「メタ・データ」と呼ばれる情報を集めることにより、私的なコミュニ ケーションのコンテンツへのアクセスが伝えるものを超える個人の振る舞い、社会的関係、私的な好み、および同一性が看破されてしまうかもしれない。
メ タ・データもコンテンツも同様にプライバシーを侵害する性質をもっていることを考えると、国家はいかなる保護された情報にも干渉することは抑制すべきであ る。たとえば公開されていない話し手の身元を明かしたり、、訪れたことのあるウェブサイトやソーシャル・メディアのむやみに取り込んだり、コミュニケート したことがあるすべての人々の情報を蓄積したり、私たちのすべてのデジタル活動について、「いつ」、「どこから」、「どのくらいの間」かを追跡することで ある。前インターネット時代には、法執行当局に利用可能な「メタデータ」の量と種類はずっと限られており、コンテンツほど機微でないものとして扱われた が、現在のコミュニケーション監視能力を考えると、もはやそうではありえない。
コミュニケーション監視
この一年間に確認され た国家による監視実行の多くは、実際の「監視」が発生したかどうかや人権上の義務が適用されるかどうかについての混乱がある。ある人々は、情報がただ収集 され保持されただけで、人間が見ていなければプライバシー侵害が生じていないと示唆した。またある人々は、すべてのコミュニケーションをリアルタイムで キーワードによって分析するコンピュータや選別システムは法的なプライバシー保護が必要な「監視」にはあたらないと主張する。さらに他の人々は、プライバ シー保護を情報の「有害な使用」に引き下げようと努力する。そのような法的な差異は、合理的で注意深く目標を設定された捜査と、すべての人の常時の大衆監 視で構築された監視国家との違いと言えるだろう。
私たちの生活の最も機微な部分がデジタル・ネットワークで絶えずコミュニケートされるデジ タル時代は、私たちのコミュニケーションの信頼性を保障することがこれまでになく重要である。妨害がインターネット送信のリアルタイム・モニタリングの形 式をとるか、個人のモバイル機器へのハッキングか、あるいは第三者のプロバイダに保存されたデータからの大量採取かということはほとんど関係ない。イン ターネット上のやり取りを単に記録するということでさえも、たとえ結局誰もそれをチェックしなかったとしても、私たちの最も重大な対話型メディアの使用に はなはだしい萎縮効果がある。私たちは、コミュニケーション監視のすべての行為が人権保護の範囲内であり、「必要かつ公正」であることを保証しなければな らない。
このことについては、OHCHR の報告書が以下のことを明らかにした。
通信データのいかなる収集も潜在的にプライ バシーに対する干渉である。それらのデータが結果として調べられたり利用されたりしなくても、通信デーのタ収集と保持はプライバシーに対する干渉になる。 通信される情報が収集されるという単なる可能性さえも、自由な表現や結社の権利に対する潜在的な萎縮効果と共に、プライバシーに対する干渉を引き起こす。
この問題を改善するために、原則は「コミュニケーション監視」を、ある人物の過去、現在、将来にわたるコミュニケーションを含む、反映するまたはそのコミュニケーションから発生する情報
のモニタリング、遮断、収集、分析、利用、保存および保持、妨害またはアクセスをすべて網羅するように定義する。、
適用範囲
原 則は、さらにいくつかの国家が採用した、人権上の義務の自国領土の外での適用に関する狭い解釈から生じる積年の問題にも取り組む。ある人々は、プライバ シーなどの人権を尊重する義務は国境の外では効果がないと主張した。高度に統合されたデジタル・ネットワークの世界の中では、個別のやり取りやデータの経 路が国境を無視するところで、そのような区別は意味がない。したがって、原則は、国境の中であろうと外であろうと、またその目的の如何を問わず(たとえば 法の執行、国家安全保障、諜報の収集、または他の政府の職務)、すべての監視に当てはまる。
OHCHRの報告書は、明示的に無差別の原理を強調する。
市 民的及び政治的権利に関する国際規約」 第26条は「すべての者は、法律の前に平等であり、 いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。」と規定する、そしてさらに以下のように述べる。「このため、法律は、あらゆる差別を禁 止し及び人種、 皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、 出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。
この点に関しては、OHCHR の報告書は、「そのコミュニケーションが直接の監視の下にある個人の国籍や所在地に関わらず、プライバシーの権利に対するどんな干渉も、合法性、公正性、必要性の原理に従うことを保証する手段」の重要性を強調する。
13の原則
本質的な原則は、しっかりと確立した人権法に根をおろしている。一般に、人権に対するどんな制限も、必要で公正で許容可能なものであるべきである。これらの限界は法で明記されていなければならず、恣意的であってはならない。
国際人権法の下では、権利はそれぞれ二つの部分に分けられる。一つ目の節では権利の核心を述べ、二つ目の節ではその権利が制限されうる状況を述べる。この二つ目の節は通常「許容限度」テストと呼ばれる。
プ ライバシーの権利に関して、テロ対策と人権に関する国連特別報告者と言論と表現の自由に関する国連特別報告者は、市民的及び政治的権利に関する国際規約 (ICCPR)第19条(意見及び表現の自由)の下の「許容限度」テストは、プライバシーの権利を恣意的に若しくは不法に干渉することを禁止する ICCPR 第17条にも等しく適用できると述べた。
OHCHR 報告書は ICCPR 第17条に関して簡潔にこれらの義務を要約した:
まず、第17条に反映されたプライバシーの権利に対するどんな制限も法律の定めるところによらなければならない。その法律も十分にアクセス可能で、法律を読 んだ者が、誰がどのような状況でデータ監視を行うことを許可されているかを確かめることができるほどに明確かつ正確でなければならない。その制限は正当な 目的を達するために必要なだけでなく、利用可能な選択肢の中でプライバシー侵害の最も少ないものにしなければならない。また、権利に対する制限(たとえば 国家安全保障や他の人の生存権を保護する目的でプライバシーを侵害すること)は、その目標を達成する見込みが示されなければならない。その制限が正当な目 的で筋の通ったものであることを示す責任は、権利を制限しようとする当局にある。さらに、プライバシーの権利への制限は、その権利の本質を無意味なものに 変えてしまってはならず、差別の禁止を含むその他の人権と首尾一貫していなければならない。制限がこれらの基準を満たしていない場合は、その制限は非合法 であり、プライバシーの権利への侵害は恣意的なものと言える。
合法性: 秘密法の禁止
合法性の原則は、すべての国際人権文書 と法の支配の基本的な特徴である。それは国家がその権力を恣意的に行使することに対する基本的な歯止めの保証である。このため、人権へのどんな制限も、法 律で規定されている必要がある。「法律」の意味は明瞭性、アクセス可能性、予測可能性を備えた最低限の質的要件を含んでいる。人権を制限する法律は秘密で あってはならず、恣意的な干渉を許すほどに曖昧であってはならない。
その面では、OHCHR は以下のことを明確にした。
ま ず、第17条に反映されたプライバシーの権利に対するどんな制限も法律の定めるところによらなければならない。その法律も十分にアクセス可能で、法律を読 んだ者が、誰がどのような状況でデータ監視を行うことを許可されているかを確かめることができるほどに明確かつ正確でなければならない。
権 利侵害の実施を意味が分かるように公に説明する必要は、(それはどんな文脈においても重要なものだが)、そのような実施は密かに行なわれ、明るみになるこ とは困難なので、コミュニケーション監視を効果的にチェックするための鍵である。コミュニケーション監視が高度に技術的で急速に進化するものであることを 考えると、法律が表立って解釈され、国民の精査から効果的に逃れた内密のプロセスにしないものにする責任がある。国家は、その限界を定義する公法によらな い監視を実行してはならない。さらに、法律は、個人が事前通告を受け、適用を予見することができることを保証するに足る正確さと精密さの基準を満たさなけ ればならない。秘密法は人権の見地からは合法とは言えない。
ナビ・ピレイ国連人権高等弁務官は、彼女の画期的な報告書で以下のことを明らかにした。
法 律の秘密規定および秘密解釈(秘密の司法の解釈さえ)には「法律」の必要な特質がない。安全保障部局や情報機関のような行政官庁に過度の自由裁量を与える 法律も規定も、その裁量の範囲と方法は、法律自体あるいは拘束力があり公表された指針により合理的な明瞭さで示されなければならない。アクセスはできるが 予見可能な効果がない法律は不適格である。特定の監視力は本質的に秘密にされる性質をもっており、自由裁量の恣意的な行使の危険性がより高いので、自由裁 量の行使を律する規定のより高い精密さと追加の監督が要求される。
正当な目標
法律は、民主的社会において必要で、圧倒的に重要な法益に相当する正当な目的を達成する、指定された国家権力によるコミュニケーション監視のみを許可するべきである。
国際人権法の下では、私たちの基本的自由に対するどんな制限も一般に許容される目的あるいは「正当な目標」を追求しなければならない。これらの目的や目標は、多くの場合条項の中に列挙される。したがって、原則は、コミュニケーション監視のみが顕著に重要な法的な利益を求められる必要がある。このような利益はドイツの最高裁判所が以下のように述べている。「個人の生命、身体および自由、あるいは国家の存続や人間の存在の基盤に影響を与える脅威に関する公衆の利益である。」
OHCHRは、その2014年の報告書で、「自由権規約(ICCPR)の第17条に反映されているプライバシーの権利へのいかなる制限も、正当な目的に達するために必要なものでなければならない」と同様に断言した。その報告書は以下のように詳述する:
国家安全保障を理由とした、あるいはテロリズムあるいは他の犯罪の予防のための監視は、規約第17条の観点からすると評価の目的のための「正当な目標」かもしれない。しかしながら、抵触の程度は、その目標を達成する手段、およびそれがそのような目的の方へもたらす実際の利益の必要に対して評価されなければならない。
最後に、コミュニケーション監視は、人種、肌の色、性別、言語、宗教や国籍などに基づいて識別する方法で使用することはできない。そのような差別は違法な目的を構成するからである。
必要性、妥当性および公正性
国際人権法は、私たちの基本的自由に対するどんな干渉も「民主的社会において必要」でなければならないことを明確にする。その一般注釈第27番では、人権委員会は、そのような制限が正当な目標に役立つというだけでは十分ではなく、それらは必要でなければならないと、明確に述べる。制限措置は、また、それらの保護機能を達成するために十分な、または適切でなければならない。さらに、それらは所望の結果を達成することが期待されるかもしれないものの中の最も侵害の程度の低いオプションでなければならない。また、それらは、保護される利益に釣り合いが取れていなければならない。最後に、権利の本質や核心を損なういかなる制限的な措置も、本質的に公正でなく、その権利を侵害するものである。
コミュニケーション監視の情況にこれらの基本原則を適用して、「原則」は以下のことを確認する:
必要性:
多くの場合、監視目的ははるかに侵害の程度の低い手段を用いて達成されることがある。他の選択肢を使い尽くすことは決して必要ではないが、コミュニケーション監視が本質的に侵襲的であり、真っ先に頼りにすべき手法ではないことを認識すべきである。
妥当性:
監視実行が所与の目的を達成するために必要なことを示すだけでは十分ではない。さらに、そのために妥当で適切でなければならない。高等弁務官が指摘したように、プライバシーの侵害をするコミュニケーション監視は、最低でも「その目標を達成する見込みを持っていることが示されなければならない。」
公正性:
コミュニケーション監視は、人権を妨害し、民主的社会の基礎を脅かす、高度に侵入する行為と見なされるべきである。正当な利益に対する深刻な脅威が存在し、問題のコミュニケーション手段がその深刻な脅威を手助けする情報をもたらすだろうと、国家が目的の第三者すなわち裁判官に確信させた場合を除いては、調査目的のためのコミュニケーション監視を行ってはならない。
自発的協力の禁止:
現在のデジタル・ネットワークや対話は、インターネット・サービス・プロバイダー(ISP)、電子メール・プロバイダー、ホスティング企業などを含む、広範囲の第三者仲介者の手に莫大な量の個人情報や機密データを託する。国家からの監視の要求に従うか従わないかの彼らの自由裁量の決定を通じて、これらの仲介者は、すべての人々のプライバシー権に劇的に影響を与えることができる。そのような任意の協力は適法手続きを回避し、法の支配に対して深刻な脅威を生み出す。したがって、必要かつ公正の原則は、司法の認可がない状態での国家によるいかなるコミュニケーション監視活動も禁止する。
再利用の禁止:
多くの公式声明に反して、現代の現実は、喋報機関が単に国家安全保障または報復テロと関係するものより活動のはるかに広い範囲に関与しているということである。必要かつ公正の原則は、コミュニケーション監視(情報あるいは私たちのデータへのアクセスに対するいかなる干渉の収集を含む)がそれらが対処することを意図している目的に釣り合いが取れていなければならないと述べる。また、等しく重要なことには、監視がある目的のためにある機関によって正当化される場合さえ、原則は他の目的のために他の機関によってこの情報の無制限の再使用を禁止する。
OHCHR報告書はこの点を強調し、さらに以下の点を指摘している:
効果的な利用制限がないことは、2001年9月11日以来、刑事司法と国家安全保障の間の線引きがずっと悪化している。法執行機関、諜報機関や他の国家機関の間での、結果として生ずるデータの共有は、自由権規約第17条に違反する危険がある。なぜならある機関にとって必要かつ公正な監視手段が、別の機関にとってはそうでないかもしれないからである。
コミュニケーションと制度の完全性
いかなる法律も、監視を容易にするために私たちの技術のセキュリティ・ホールにつけこむべきでない。
とりわけ悪意のある関係者がこれらの突破口を国家の捜査官と同じくらい容易に用いることができるので、ごく少数の迷惑者に対する監視能力を確保するのと引き換えに何億もの罪のない人々のセキュリティをむしばむことは、過度に広汎であり近視眼的である。そのような条件の根底にある仮定、つまりコミュニケーションが真に安全になりえないことは、赤ん坊を湯船に投げ捨てるのと同じくらい、本質的に危険なことである。このようなことは拒絶されなければならない。
OHCHR報告書はこの結論を支援して以下のように述べる:
企業がネットワークを「盗聴対応」にさせる法的要件の制定は、それが抜本的な監視手段を促進する環境を築くので、なおさら懸念すべきことである。
通知と効果的な救済を受ける権利
通知は例外ではなく標準でなければならない。問題の調査を危険にさらす場合を除いて、コミュニケーションへのアクセスを受ける個人には、決定に対して不服申し立てすることを十分に可能にする情報と時間的余裕をもって通知されるべきである。個人はまた、認可の申請のために提示された資料へのアクセスを保証すべきである。通知の原則は、違法または行き過ぎる監視と戦うことにおいて不可欠になった。通知のどんな遅れも裁判所への通知に基づき、ある個人への危害または問題の調査に対する実際の危険につながっているものでなければならない。
インターネット以前は、警察は容疑者のドアをノックし、令状を示し、容疑者の自宅に入る理由を当人に提供していた。捜索を受けた人は、捜索の様子を見ることができ、また集められた情報が令状の範囲を越えているかどうか確かめることができた。しかしながら、電子監視ははるか内密に行うことができる。データは傍受するか、Facebook や Twitter のようなサードパーティーから、本人に知らせることなく直接取得することができる。したがって、もし証拠が刑事告発に至らなければ、多くの場合自分が監視の下にあったことを知ることができない。その結果、無罪の人々は、彼らのプライバシーが侵害されたことを発見するすることはほとんど不可能である。確かに、新しい技術は、さらにパソコンおよび他の装置の隠密の遠隔の探索を可能にした。
OHCHR報告書は、監視関連のプライバシー侵害の効果的な救済が示すべき4つの特性を提示する:
デジタル監視によるプライバシー侵害の効果的なな救済は、このように様々な司法、立法あるいは行政上の形式がありえる。効果的なな救済は通常、ある特性を共有する。まず、それらの救済策はよく知られていなければならないし、彼らの権利が侵害されたというもっともな主張を持った誰にでもアクセス可能でなければならない。(一般的な監視体制や特定の監視対策のいずれかが整っていることの)通知と(そのような措置に異議を申し立てるための)当事者適格が、効果的なな救済へのアクセスを決定する上で重要な問題となる。国家は、通知への異なるアプローチをとる。いくつかの国は、監視対象への事後通知を必要とするが、多くの国は、一旦調査を終えたならば通知をしない。いくつかの国は、刑事訴訟になれば通知を要する。しかしながら、実際には、この拘束は、通常は無視されるように見受けられる。
2014年のOHCHR報告書は、続けて「迅速で、徹底的で、公平な調査」の重要性を強調する。また実際に「進行中の侵害をやめさせることができる」救済の必要性、さらに、「人権侵害が広範な侵害のレベルに高まった場合には、刑事訴追が必要になる」と述べる。
国際協力のための保護条項
プライバシー保護は国内と国外を問わず一貫している必要がある。政府は、外国の国家か民間の国際企業との内密の非公式のデータ共有協定に頼ることにより、国民のプライバシー保護を回避するべきではない。単に自分を監視している者から別の国に住んでいるというだけの理由で、個人はプライバシーの権利を拒絶されるべきでない。データが国境を越えて流れている場合には、最大のプライバシー保護と管轄の法律が適用されるべきである。
さらになすべきこと
必要かつ公正の原則は、政府が法の支配、監督および保護条項を保証するための基本的な枠組みを提供する。それらはまた、不正アクセスや内部告発者のための強力かつ効果的な保護のための罰則で、説明責任を要求する。それらは世界中の改革のためのモデルとして役立ち始めている。また、私たちは、必要な変更を組み立てるためにそれらを用いるように政府、企業、NGOおよび活動家を促す。
しかし、原則は政府に向けられているが、政府とのやり取りは過剰な監視に対抗するための唯一の方法ではない。すべての通信会社、インターネット企業、電気通信事業者も同様に、彼らのネットワークを安全にしそれらが収集し保持する情報を制限することにより支援することができる。オンライン・サービス・プロバイダーは、運用に最低限必要なだけの時間と量の情報のみを収集し、ユーザーの情報を効果的に難読化し、不必要な情報を削除すべきである。これは、彼らのコンプライアンス負担を軽減することになる。彼らが集めるデータを少なくすれば、政府に引き渡すデータも少なくなる。強力な暗号化はコミュニケーションの全ての過程で採用すべきである。また、可能な限り記憶装置中のデータにも採用すべきである。
秘密のマントの下で、監督もうまく機能せず、法律も時代遅れで限られた範囲でしか適用できず、北の端から南の端までの国々でのデジタル監視の実行は、人権基準を逸脱していることは明らかである。私たちはみな、ある国が最後の一線を越えたところを世界中の活動家が示し、その国の政策立案者と国際社会がその国を抑制するところを見たいと思っている。私たちは、私たちの国の監視法や慣行が人権基準に準拠しており、国境を越えたプライバシーが整備されていると効果的に施行されていることを保証するために監視改革を要求しなければならない。暗号化の展開、サービスの分散および情報収集の制限などの法的な、そして技術的な努力を共同して行うことは、プライバシーの守られた安全なデジタル通信の新時代の基礎として貢献することができる。